〜 前置き 〜
こんにちは!
こんばんは!!
おはようございます!!!
AnotherVision10期、さっしーです。
今年春に大学を卒業してOBになりました。💐
AVCCは3年目、3回目の執筆です!
この全時間対応3連発クソデカボイス挨拶も3回目です📣📣📣
まずは、この記事を手に取っていただき、ありがとうございます📝
AVCCにおいて、私は、
その年に感じた、自分自身の生活での気づきや想いを、等身大で綴っています。
今年は、
学生生活が終わって、社会人になり、
自分自身の生活や感情の変化を共有したいと思い、
執筆に踏み切りました。
きっかけは、
ふとした瞬間に、
「今、自分は本当に幸せだな。」
と心から思えるようになったことでした。
社会人としての生活が始まり、
学生生活の忙しさから少しだけ解放され、
(↑この表現、とてつもなく直感に反すると思います...合ってます...)
自分自身の感情や生活を振り返る余裕が生まれたことで、
この幸福感に気づくことができました。
そして、同時に、
その感情が学生時代の私には欠けていた要素だったことを実感しました。
学生時代の私は、制作や仕事に追われる日々の中で、
楽しみや余暇を後回しにしていました。
その時はその過ごし方こそが、
「正しい成長の形」だと思っていました。
今振り返っても、
それが間違いだったとは思っていません。
ただ、
今振り返ると、
無理をして心が削られていた部分も多かったと感じます。
学生時代の僕が直面していた葛藤や、
そこからどう変化を遂げたのか、
そして社会人になって気づいた、
「生活の隙間」や「仲間との時間の大切さ」について綴っていきます。
私と同じように頑張りすぎてしまう人や、
日々の生活に楽しみを見出せないと感じている人にとって、
何かしらのヒントや共感をお届けできたら嬉しいです。
それでは、
どうぞ最後までお付き合いください💐
学生時代
学生時代、私は常に、
“走り続けること” だけを考えていたように思います。
学生生活と並行して、
AnotherVisionでの謎解きイベントの制作や、
学生フリーランスとしての活動での仕事に没頭し、
寝る間も惜しんで何かを創り上げる日々でした。
そこから得られる学びや挑戦できる機会にひたすら感謝していました。
その中で、
自然と「プライベート」や「余白」の存在を切り捨ててしまっていました。
当時は、責任ある案件を数多く抱えていました。
忙しさを正とし、
できる限りの仕事を引き受けることが「正しい成長」だと信じていた気がします。
サークルと大学と仕事のために東京と三重を行き来し、
まるで出張を繰り返すビジネスマンのような生活でした。
確かに得るものは多かったし、
やりがいもありました。
当然、この日々が楽しかった思い出でもあります。
今の自分自身だからこそできる経験。
...ただ。
...ないものねだり、なのでしょうか。
カラオケや飲みの予定。
旅行や遊びの計画。
忙しさを振り撒いたことで、
そういった類が、自分から一気になくなりました。
反対に、周りを見渡せば、
同年代の仲間が楽しんでいることがひどく目につくようになりました。
それでも、気づけば「忙しさ」こそが正義で、
「遊び」は二の次になっていました。
その頃、私の精神状態は、
今思えば少しメンヘラと呼べるような領域に
足を突っ込んでいたのかもしれません。
忙しさに侵された私は、
周りへの羨ましさと自分自身にあるいくつもの責任に挟まれていました。
今振り返ると、
表面上は
「成長環境に感謝」
と言い聞かせながら、
深層心理では、
「もっと気楽に遊べる時間が欲しい」
と葛藤していたと思います。
プライベートをなおざりにした生活は、
"生活の豊かさ"という観念など、置いてけぼりにしていました。
そして、自分のキャパシティを見誤った私は、
負のスパイラルに陥ります。
仕事を進める中で、
納期を守れなかったり、
不具合を起こしてしまったりと、ミスが重なりました。
自尊心はどんどん削られ、余裕のない状態に追い込まれました。
大きなトラブルに発展して、大失敗もしました。
心が乱され、意気消沈することもありました。
怒涛の日々を駆け抜けて、私は社会人になります。
社会人になって。
社会人になり、
AnotherVisionを卒業し、
学生フリーランスとしても一区切りがつきました。
私の生活リズムは大きく変わり始めました。
正社員として一つの環境に身を置くことで、
責任はもちろんあるけれど、その業務範囲がクリアになり、
自分自身のキャパシティに見合う業務に注力できるようになりました。
これは想像以上に、
僕の精神状態にポジティブな影響を与えました。
以前の僕は、
案件をいくつも抱え、
実績ファーストで動いていて、
ひとつひとつに100%にコミットできない歯がゆさを抱えていました。
今では、中途半端さへの自己嫌悪は薄れ、
徐々に満足感と自尊心が戻ってくるのを感じました。
質を求める働き方を知り、
過去の「量をこなすだけ」のスタイルから一歩前に進んだ実感がありました。
そして何よりも大きかったのが、
プライベートに費やせる時間が生まれたことでした。
...たとえば、
社会人になってから、ディズニーに足繁く通うようになりました。
今年の春先の自分からしたら、予想外すぎる展開です。
AnotherVision時代の仲間が誘ってくれました。
日常を離れた空間で思い切り楽しむ幸せな体験を
私は久々に体感しました。
また、音楽ライブに行く頻度も増えました。
音楽は僕にとって昔から大切な存在でした。
そこでは、素直に涙が出てくる自分に出会いました。
前よりも感情も豊かになった自分自身を感じました。
(これはもしかしたら歳のせいかもしれないです...)
心を揺さぶられる物事に素晴らしさを覚えました。
さらには、バンド活動という東京での新たな楽しみも加わりました。
学生時代、一度はコピーバンドから距離を置いていましたが、
今はオリジナルコンテンツを作った仲間たちと再び音楽を奏でる機会に恵まれました。
仲間と音楽を共有する時間は、
単純な趣味以上の意味をもたらしてくれることに気づきました。
これらの生活の変化から、
精神面にも大きな変化が生じました。
周りの人を見て、隣の芝生が青くて仕方ないと感じていた私が、
今では自分自身が幸せな生活を送れていると感じるようになりました。
もちろん四六時中すべてがバラ色な生活なわけではないですが、
少なくとも以前のようなメンヘラじみた情緒不安定さからは脱却できたと感じています。
負のスパイラルから抜け出せるようになったのは、
心に余白ができたからだと考えています。
その余白を埋めるのは、
自分自身が心から"楽しい"と感じる時間。
情動を刺激する音楽やコンテンツだったり。
仲間たちと笑い合う空間だったり。
ただ単に遊びに興じるというだけではなく、
プライベートを大切にするという行為こそが必要な要素だと気づきました。
かつては、
「羨ましい」「自分は中途半端だ」
といったネガティブな考えを無理に押し込み、
自分を追い込んでいました。
しかし今は、
生きているだけで本当は最高なんじゃないか
という肯定感が生まれています。
プライベートな時間を大切にすると、
人との対話が増えることにも喜びを感じています。
友人と趣味や関心を共有する雑談。
あるいはイベントやライブで偶然出会った人との会話。
一期一会の小さな交流が、
今となっては自分にとって欠かせない栄養源になっている気がします。
自分自身が"楽しみ"を求めることの大事さを学びました。
気づいたこと・伝えたかったこと
能動的に"楽しみ"を追っかけなくても、
それを気にしない人は一定数存在すると思います。
自分もその一人でした。
でも、
知らなかっただけでした。
楽しみを持つと、こんなにも生きやすくなる。
その事実に気づかされ、今はそれを誰かに伝えたいとさえ思いました。
正せば、単純なことです。
単純なことだけど、気付けなかったんです。
気付けなかったから、こうやって記事にしてみました。
幸せを振り撒ける存在になるというのは大げさかもしれないけれど、
少なくとも"楽しい"を共有できる仲間であり、
時には誰かの味方になれる人でありたい。
プライベートを諦めないし、
諦めさせない。
私は私のままで、
人生を豊かにするための余白を大切にしていきたいと思います。
その"余白"こそが、生きる活力を引き出し、
頑張っている誰かを支える原動力になると信じています。
これは、その"余白"で書いた記事です。
誰かを支える原動力になったら幸いです。
おわりー!